しやべる

悔やまない後の祭り

【小説】「私のなかの彼女」角田光代

 

書きたいという渇望を吟味して

 

中途半端に知っちゃった人よりなーんにも知らない子の方がずっとずっと可愛いと思う。クイズ番組なんかを見ていてよく思うことである。ただ、こうはなりたくないと見栄を張っている自分がいる。

無知であることを指摘されたらくすぐったい。それは大事に守られてきた証だからと主人公は言う。ずっとそんな風に捉えられていたら、どんなに楽だっただろうか。プライドなんてなければないほうがいい。

私は馬鹿にされることに対して驚くほど敏感で、知らないということが、とてつもなく怖い。そんな風に感じるようになったのは、中学生になって自分のくだらなさに気づいてしまったから。自分のことを周りと比べてお利口さんだと思っていた幼稚園、小学校時代は、自分が無知であることすら分かっていなかった。容姿に関してもまた然り。

 

一見上手くいってそうで、会話の端々はかなりギクシャクしていた仙太郎と和歌。間違ったことを言っているわけでも、相手を貶めようとしていたわけでもなかったけれど、今一番掛けてほしい言葉はお互いの口から出なかったように思う。特に仙太郎からはちょくちょく毒を感じた。

和歌視点で物語が進んでいくから端折られているけれど、和歌が小説家としてデビューしたあたりから、仙太郎は和歌に対して少しばかり劣等感を抱いていたのではないか。おめでとう、と言いながら分野は違えど生み出す者同士、何か確執があってもおかしくはない。

 

母親が偏っていて怖い。過去に色々感じることがあっての結果だろうが、娘の成果を全く喜べず、あろうことか非難するなんて。2人は最後まで和解できなかった。身近な人の理解が得られないのは辛くないかな。書くことが行き詰まったときに拠り所になるのは、なんだかんだで周りの応援ではないのか。

私の場合、何か褒められるようなことがあれば、どんな些細なことであっても周囲の人が喜んでくれる。褒められれば褒められるほど卑屈になるめんどくさい私を支えてくれるのは、底抜けに喜ぶ周りの姿である。 

 

かつて物書きであった祖母の山口タエ。和歌はタエのことを調べ、あらゆる仮説を立て、そこに自分を重ねていく。

人様の日記やら伝記を読んでいる時と似たような気分なのだろうか。知ったところでどうというわけでもないが、知らずにはいられない、みたいな。

話が逸れるが、〝すごい人〟の年表と自分の人生を見比べて撃沈することがある。おんなじように息をしていて何故こんなにも差ができてしまうのか。

 

アイディアを盗む、うんぬんかんぬんに関して。意図していないのにパクったと思われるのは、すごくすごくしんどいことだろう。

小学校の図工の時間に、絵の構図が似てしまった2人が詰り合っていたことを思い出した。人は自分こそがオリジナルであると思いたいのであり、それが否定されそうになるとき、感情がマイナス方向に大きく動く。

創作していると逃れられない悩みであるが、一体どこからが盗みで、一体どこからゆるされないものとなるのだろう。

逆鱗の基準は人それぞれ、ケースバイケースってやつなんじゃないか、結局は。

 

考えさせられる、良い意味で頭が疲れるお話だった。何も知らなくて、やりたいことが何もなかった主人公が、いつしかやりたいことだけに全力で傾いていくようになる。清々しさなんてないし、もやもやする。最後は主人公だけが光を見据える。

 

主人公に感化されて、何か作りたいという衝動が揺さぶられる。

なーんもない!って人におすすめしたい。